もう、4年と半年以上前になりますが・・・

2012年 12月15日の深夜に
ナビは 寝ている私の隣で そっと旅立っていきました。
私は隣で寝ていたのに 最期に立ち会えず
そのことを 長くながく後悔をしていて・・・

でも、犬が旅立つタイミングは
その子が自分で決める と聞いて
その言葉を思い出してからは
ナビが決めたタイミングなら
私が受け入れなくてどうする。 と思い直して、今に至ります。

ぷくさんの旅立ちがあって
久しぶりに、ナビの最期のときを思い出しました。
最期に気付いてやれなかったこと
母が 夜中にトイレに起きて来て
ナビが動かないのを不審に思って
私が慌ててナビを揺さぶったら、目が開いてホッとしたこと。
でも、その時は既に「存在していなかった」こと。
(まぶたが開いたのは、反射なんでしょうね)

あれから 長い時間が経過したにもかかわらず
かなり鮮明に、一分一秒を思い出せる気がします。

ずっと覚えている・思い返しているわけじゃないんだけど
こうして リアルに思い出せるのは
それだけ大きく心に刻まれたことなんだろうなぁ・・・。

【ナビが決めたタイミング】 に関しては、後悔は無いのですが
無いと思うようにしているのですが・・・
(私が家に居るタイミングを選んでくれたしね)

ひとつだけ、後悔していることがあって。

闘病中のナビ
ゴハンが食べられなくなったナビ
吐き気止めの注射をして貰うまで、吐いて吐いて
吐くものが無くなっても吐いて
トイレに向かって歩けないのに
それでも「定位置のトイレ」に必死で歩こうとするナビ。

その様子をみて
「もういいよ」と思ってしまったこと。

たった数日の介護期間だったけれど
仕事が、1年の中でピーク時だったのもあって
仕事とナビのこととの両立に「ちょっと疲れた」と思ってしまったこと。

それは、悔やんでも悔やみきれない。

どんな形でもいいから
そばに居続けて欲しいと思っていたのに
ホンのちょっとだけ「疲れた」と思ってしまった。

それが、未だに ごめんなさい。 と思っている。

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たぶん、どんな形でお別れしても

仕事中で立ち会えなかったとしても
あたたかい腕の中で看取ってやれたとしても
自分の思いつく限りの手段や方法を使って
適切な医療を受けさせてやり
最適な介護をしてあげれたとしても

どれだけ「し尽くした」と思っても
後悔はあるんだと思う。

その中で、少しでも後悔の無いように と。
仕事しながらじゃ難しいし
家族の支えもないと難しいんだけどね。