12/15(土)
本日、ナビの7回忌でございます。
お空へ転籍をして、6年。
もう6年・まだ6年・・・。

ここ1ヶ月ほどかなー。
朝の通勤途上で、ナビの事を思い出す事が多くて
楽しかったことを思い出せたらいいのだけど
リアルに、その時の思いがフラッシュバックするのは
最後の通院、亡くなる1日前くらいかな?

食べるものも受け付けなくなって
空腹吐きもあって、吐いて・吐いて・・・
胃液のような茶色い液体を吐いて止まらなくて
しんどそうなのもあって
かかりつけに往診を頼んだのだけど
手術予約も入っていたのもあって、断られて。

それならば・・・と、意を決して 母にも頼んで
病院へ ナビが寝た状態のままでベッドに乗せて連れ込んで
吐き気止めを注射して貰って
結果的には、それで随分と楽になったようで
連れて行くことで更に体力を消耗してしまうかも・・・という心配からは
結果論では良かったのですが

その、最後の通院時に
吐き気止めを打つ以外に、何か出来ることが無いか
先生が長い間 沈黙をして考えてくれて。
(私が頼んだのは吐き気を止めて欲しいという依頼だけでした)

考えて考えた挙句に
「残念ですが、これ以上(病院側として)出来ることはありません」

・・・と言われた時の
何とも言えない絶望感というか・・・
先生があれこれ考えてくれたのは嬉しかったけれど
何かをしてやりたくても、何も出来ないんだ という
その選択肢がつぶれたことに対する絶望が
6年経っても忘れられなくて。

この時の感情や光景が
つい先日、通勤途中で思い出されて
運転しながら涙がボロボロ・・・。

普段は平気だし
ナビのことを忘れる(ゼロになる)ことは無くても
正直、1分1秒たりとも忘れないんじゃなくて
ナビのことを考えない日・考えない瞬間はあるのですが
やっぱり、命日が近づくと思い出すことが多いね。

この日、12/14(金)の夜に
ニコル・らむねと一緒に寝ていて
あの年と同じ曜日配列で

ナビを隣に、同じお布団ではなかったけれど
(ナビは身体がふれて寝るのは嫌っていたので)
隣にお布団敷いて寝ていて
その間に、ナビが旅立った 真夜中の時間を思い出して

ニコらむと一緒に寝ながら
深夜、目が覚めて 胸がきゅーーーーっと苦しくなりました。

あの時、ナビの身体は隣にあるのに
【ナビ自身】は居ないんだと気付いた時の
何とも言えない気持ちも、リアルに蘇りました。
母が居て、父を別の部屋に呼びに行って貰って
その光景も今でも鮮明に覚えてます。

楽しかったことも覚えているけど
この、最後の通院と・最期の時間は
たぶん・・・衝撃が強かったんだろうなぁー。

ニコらむを隣に、触れ合って眠れる幸せを
改めて感じた時間でした。

・・・って、プレイボウ教室の話じゃないですね。
長くなるので明日にしましょうか(タイトルずれだな・・・)