7/6(金)のつづきです。

総社でのアルミ工場の爆発音に驚きながらも
その時点(23時半頃)は、まだ雨の降り方も
「異常なほど」とは言えず
雨足も強まったり・弱まったり・・・程度でした。

夜中の2時頃に
近くの川の水位を見ていると
警戒水位を超えて、氾濫危険水位まで上がっていたのが
徐々に下降をし始めました。

まだまだ雨の音は聞こえるのに
水位は下がり始めた? と思いながらも
とりあえずオーバーフローは無さそうだ・・・とホッとしたのと

ちょうどその頃に、弟から
家族それぞれ宛に携帯メールがあり
「車では動けそうにないけれど
 2階に4人で避難をしているから大丈夫」という内容で
それを見て安心したのもあって
また、ちょっと寝ては起きてニュースを見て・・・を繰り返していました。

7/7(土)になって 3時過ぎくらい。
NHKが1時間おきにニュースで豪雨情報を伝えていたので
少しの仮眠をとっては、1時間おきのニュースをチェックしていたのですが
3時すぎに、母が私の部屋をノックして
「庭に水が上がり始めている」 と伝えて来ました。

その頃になってはじめて
自分の家(庭)にも浸水して来ているのを知ったのです。

まだ、近くの河川が決壊しているのは知りませんでした。
(情報が入ってきていなかったし、テレビでも取り上げられていなかった)

急いで起きて、1階へ降りてみると
すでに庭先の父の車のタイヤが浸かりはじめていました。

私の車は、父の車の後ろに縦列で停めていて
ほんの少しだけ地面が高かった(傾斜になっていた)ので
この時点では、まだ浸水していませんでしたが
3時~4時の間にどんどん水位は上がっていきました。

ダイニングテーブルの上に、床に置いているものを片っ端からあげて
避難袋と貴重品を2階へ移動し
靴を人数分、階段に避難させました。

一番のピークは、朝の6時頃だったかな。
じわじわと上がった水位は、玄関から室内にも侵入してきて
普段、靴を置いている場所は 水が10cm以上溜まっていました。
(床下浸水の状態)

床上に来るまで、あと数センチしかありません。

ダイニングの床下収納庫から、嫌な音(水音)が聞こえるので
急いでフタをあけてみると
この時点では、収納庫自体には水は入っていませんでしたが
もう時間の問題・・・というくらいの状態。

こちらも急いで収納庫の中身
(梅干しだとか、買い置きの食糧だとか)を移動。
最終的には、収納庫の箱(プラスティックの大きな箱)が
ほぼ満タンになるくらい、水がチャプチャプ・・・。

父が しきりに ため息を吐きながら
弱ったなぁ~~~どうするかなぁ~~~
・・・と言っているのが印象的でしたが

私は、この時点では開き直っていて^^;
浸かったものはしょうがない。
もう開き直るしかない。
振り返ったって、元に戻るわけじゃない。と思い込むようにしていました。

ウチが徐々に浸水しだしたころに
弟のところへメールを入れると
「あ、うちはとっくに床上浸水しています」の返信が。
ここで初めて、弟エリアの方が状態が酷いのを知りました。

消防団のボートが巡回をしてきて
生存確認^^; 要救助者がいないかの確認に廻っていたようです。
私の所は、そこまでではありませんでした。

6時を過ぎて、床下浸水から
床上に来るかどうか ギリギリ・・・というあたりで
ようやく、少し水が引き始めました。

たぶん、6時半~7時頃に状況が少し好転してきたと思います。
そこまでは床上に来るんじゃないかとヒヤヒヤしていました。
(一気に水が上がることは無かったので
 少し観察をする時間はあったんです)

3時頃から ずっと起きていて
床の物を高い位置に移動をさせて、床上浸水に備えて
床下の水の水位(玄関内に浸水した水位と、床下収納庫の水位と
外の車が浸かっている水位)を確認しながら・・・の数時間だったので
お腹が減ってきて、朝ご飯にパンを食べました。

ニコらむも、いつも通りのフード。

車も浸水していましたが
(父の車のタイヤは完全沈没、私の車のタイヤも半分以上浸水)
庭ももちろん、海のような状態。
家の前の道路も海でした。

家以外の場所への避難は
この時点では、考えられませんでした。
(外に出るなら、膝以上の水位はあったと思います)